2016年08月03日

何のため

こんにちは。

さて、ここのところ更新が多いのですが、それは時間があるからです。

ということで、今回は「何のため」という題で話を進めていきましょう。

「何のため」という題からその答えにいたる理屈を書いていくのかと思われますが、そうではないのです。勉強で何か作業をするのに「何のため」という理由づけというのは本当に必要なのでしょうかという疑問から話を進めていこうと思います。

「理由づけ」というと似たことばに「動機づけ」、カタカナ語で言えば「モチベーション」ということになるのでしょうが、どうもこの「モチベーション」ということばがやっかいなことばです。ここのところの学習、勉強に関する話に「モチベーション」をどう与えるかという方面のことばかりが語られ、「モチベーション」がなぜ必要であるのか、本当に必要であるのかが語られていないように感じられるのです。言い換えれば、学習活動、勉強をするには「モチベーション」が必要であること、「モチベーション」がなければ学習活動、勉強はできないかのようなことを印象として与える言説が多いように思います。

これは「モチベーション」というものの存在や効果を否定するということではありません。確かに「モチベーション」があるほうがないよりは効果を出すうえでは断然いいのです。
「モチベーション」ということばを「やる気」と置き換えてもいいでしょう。しばしば、学習の効果を「勉強の質(効率の良さや適切なやりかた)×勉強の量(勉強時間や演習量など)×やる気」と単純化した式で表すことがありますが、その式において「やる気」が0になってしまえば、学習効果は0になるというのは確かにわかります。ただ、ここで考えたいことはこの式の中に「やる気・モチベーション」という変数を入れる必要があるのかどうかということです。学習効果を念頭におけば入れる必要があるのですが、学習をする、勉強をするという行動に必要であるかどうかということです。

話を整理しましょう。私たちが学習をする、勉強をするというのは一生を通して必要なことです。児童・生徒・学生という身分であればそれは義務に近いことで、その身分から離れるほど、その義務から遠ざかりはしますが、人生を通して勉強をしていくということは必要なことなのです。そもそもそこに「やる気」という要素は入ってこない、あるいは入ってこなかったはずです。この要素が自分の学習への姿勢のバロメーターを左右する根拠となってしまったように思うところがあります。「今日は勉強のやる気が出ない。やる気がないときに勉強しても成果はないから、勉強やめておこう」なんていう話を聞いたこと、言ってしまったことはありませんか。たしかに、いつも勉強ばかりはできません。しかし、それが継続したらどうでしょう。いつ勉強するのでしょうか。先ほども述べた通り、勉強はしなければならないのです。楽しくなかろうが、面倒くさかろうがしなければならないのです。「やる気」がなくてもやらなければならないのです。効率が悪くても、だらだらとでも何かをすれば一歩進むのです。そう考えれば「やる気」がなくても勉強はできるのです。

話を戻してみましょう。学習や勉強の目的を知ることって本当に必要なのでしょうか。それがわからないから勉強できない、ということはおおよそないと言えます。心の面ではそうかもしれませんが、実際の行動として勉強を進めることはできます。それこそだらだらとでも何かをすれば一歩進むのです。その短い一歩の中にそれぞれの人の学習や勉強の目的は隠れているのかもしれません。そもそも勉強する前から勉強をする目的はわからないのです。勉強して何かがわかる、気づいたところにその目的もわかってくるのです。だからこそ、一人一人別々の思いで勉強を進め、それぞれがそれぞれの勉強によって自分の人生を築くことができるのです。

「何のため」と疑う前に、まずは勉強してみませんか?それが「何のため」を知る一番の近道であると思いますよ。
posted by めがね先生 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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